作品 1

1958年 太刀 昭次作
昭和丗三年二月日
刃長 69.1cm 反り 2.2cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先詰まり猪首ごころとなる。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸厚くつき、細かい地景入る。
焼刃(やきば) 匂出来の直刃、匂口締まり、小足よく入る。
帽子(ぼうし) 直に小丸に浅く返る。
中心(なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先浅い刃上がり栗尻、孔一。



第四回作刀技術発表会優秀賞受賞作である。
作者の処女作は昭和二十九年、第一回作刀技術発表会で優秀賞を受賞、
第二回は出品を辞退したが、
第三回・第四回と連続受賞し、青年刀匠の登場が注目された。
作品は亡き父・貞吉刀匠をイメージして製作された。特に評価されたのは地鉄である。
鍛えた素材は、鉄床(かなどこ)などの古鉄であるという。
玉鋼(たまはがね)や和銑(わずく)の類は一切持っていなかった。
そこでやむなく、古鉄を卸していたのである。
しかし、品質にバラツキがあり、作品も安定しない。
従来の材料の延長上に古名刀の再現があるとも思えない。
この二つの理由から、自家製鉄研究に入ってゆく。
刀鍛冶自らがかつて製錬までも行ったという例を、寡聞にして知らない。
当時、小形炉操業に役立つ知見は周囲にほとんどなく、成果を見るには困難を極めたらしい。
その揚げ句、病に倒れ、約10年間の空白を余儀なくされるのである。
本作は、発表会最後の感慨深い出品作である。

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天田昭次 作品集より

作品 2

1972年 天田昭次作之
昭和壬子歳初夏吉日
刃長 73.5cm 反り 1.8cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先延びる。
地鉄 (じがね) 板目肌、総体に流れ肌交じり、鎬地柾ごころとなる。地沸厚くつき、地景入り。
砂流し状また、二重刃風の湯走りところどころかかる。
焼刃 (やきば) 匂出来の互の目乱れ、沸深く、やや粗めの沸交じり、刃中よく足入り、金筋・砂流しかかる。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先掃きかけて返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目勝手下がり、先浅い栗尻、孔一。

病癒えて作刀を再開するのは、昭和四十三年である。
本作はその四年後、新作名刀展と改称した展覧会の無鑑査に認定された直後のものである。 この年の秋には、小形製鉄炉の研究により、日本美術刀剣保存協会から第一回薫山(くんざん)賞も授賞されている。
前掲の作品当時からは、技法上、いくつかの大きな変化があった。 特筆されるのは、病床にあって銑にこだわり、思索を重ねていたが、快復後、ついにその処理法に光明を得たことである。
小形反射炉を応用した独創である。 これで得られた鋼はスラグ(鉄滓)が少なく、下鍛え・上げ鍛えの別なく通しで十二回前後の折り返し鍛錬で、適当な炭素量になったという。
本刀は、その材料をもって製作された。
いわゆる相州伝の、傑出した出来を示す。
何をもって相州伝と称するかは、人によって見解を若干異にするが、相州上工の地刃の働きや沸の輝きを手本とすることに異論はなかろう。
戦後の美術刀剣の典型の一つが、ここに見られる。

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天田昭次 作品集より

作品 3

1973年 直刀 昭和癸丑年仲秋 天田昭次作
以伊勢神宮御神宝余鉄 為大越氏重代
刃長 63.6cm 反り なし
形状 切刃造り、丸棟、かます切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸つき、地景入る。
焼刃 (やきば) 小沸出来の直刃、匂口締まり、足入り、刃中しきりに葉入り、砂流しかかる。
帽子 (ぼうし) 直に焼き詰めとなる。
中心 (なかご) 棟角、鑢目勝手下がり、先栗尻、孔一。

直刀は、鎬造りで反りを持つ日本刀完成以前の形態である。
同趣のものは、古墳から副葬品として発掘されるほか、正倉院などにわずかに伝世品が存在する。
伊勢神宮の式年遷宮に際して新調される御神宝太刀も、古式に則った直刀である。
厳格な規格を遵守すべき御神宝の製作は、なかなかに難しい。
歪みや、研磨によってしばしば生じがちな刃方への反りも、あらかじめ考慮しておかなくてはならない。
前回の昭和二十八年の遷宮の折、作者は兄弟子の宮入昭平(のち行平)刀匠の助手として奉仕している。
まだ制度として作刀が再開される気配はないが、宮入氏は来るべき日のために、心血を注いで本格的鍛錬に当たったという。
当時、天田さんは三ヶ月余り、長野県の宮入工房に逗留し、主に下鍛えの作業を手伝った。
その体験は、再開後の作刀にも、本刀にも十分生きている。

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天田昭次 作品集より

作品 4

1974年 太刀 越後国北蒲原郡月岡住人天田昭次作之
第五十五代横綱北の湖生誕ヲ記念シ此太刀贈ル
昭和甲寅七月廿四日 福原清一郎 高橋良禎
刃長 72.4cm
反り 1.9cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰む。
焼刃 (やきば) 匂出来の丁子乱れ、小沸つき、刃中足、葉よく入る。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖りごころに返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先浅い栗尻、孔一。

横綱北の湖関(現・日本相撲協会理事長)の現役時代、上俵入りに登場した太刀である。
二人の後援者から一年前の関脇当時、横綱になったら贈ろうと、製作が依頼された。
初場所で初優勝し、大関に昇進したところで仕事を急ぎ、夏場所十三勝で横綱昇進を確実にしたころ、タイミング良く完成したという。
この太刀は製作上、二つの意欲的な試みがなされている。
一つは、低温による直接製鋼であり、もう一つは丁子乱れである。
低温製錬こそ古刀再現の突破口とする見解は今も一部に根強いが、実はスラグが多く、地鉄が濁りやすい。
丁子は最も技巧的な焼刃で、焼刃土や焼き入れの諸条件が調和しないと、破綻を来しやすい。
のちに多くの刀鍛冶が試み、愛刀家に称揚される丁子を、天田さんはこの一、二年前からひそかに研究していた。
この作風を展覧会に無鑑査出品するのは、昭利六十二年のことである。
本作には当初からの太刀拵(たちごしらえ)が添えられている。

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天田昭次 作品集より

作品 5

1977年 太刀 為中田敏之氏 天田昭次作之
昭和丁巳五拾二年正月吉日
刃長 72.2cm 反り 2.1cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先詰まり猪首風となる。
地鉄 (じがね) 板目肌やや肌立ち、流れごころとなり、地沸つき、地景よく入る。
焼刃 (やきば) 匂がちの直刃に小足よく入る。
帽子 (ぼうし) 直に小丸、先尖りごころとなる。
彫刻 表裏に棒樋を掻きながす。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。

最初の正宗賞受賞作である。
地鉄が凛として美しく、これに直刃を力強く焼く技術は尋常でない。
焼き出しはわずかに狭く、次第に勢いを増しながら立ち上がり、物打ちから帽子にかけて絶頂を迎える。
殊に帽子は、表裏とも完壁である。
直刃は当初から得意な作域であるが、この作の土置きにはじっくり取り組み、妥協をしなかったという。
素材は、出雲の真砂を低温で製錬した。
得られた鋼はスラグを多く噛み込んでいて、合有炭素量も低い。
丹念にスラグを抜き、浸炭させなくてはならない。その困難な作業もやり遂げた。
二十年ほど以前から取り組んできた自家製鉄に確信を持つとともに、日本刀作家としての評価を一気に高めた一刀である。

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天田昭次 作品集より

作品 6

1978年 太刀 天田昭次作之
昭和五十三年弥生吉日
刃長 70.9cm 反り 2.0cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先詰まり猪首風となる。
地鉄 (じがね) 小板目肌詰み、わずかに流れ肌交じり、地沸つき、細かい地景入る。
焼刃 (やきば) 匂がちの直刃、匂口明るく冴え、刃中小足入り、わずかに砂流しかかる。
帽子 (ぼうし) 直に小丸に浅く返る。
彫刻 表裏に棒樋を掻き流す。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。

前年の正宗賞受賞作を踏襲し、さらに精緻化した作品である。 低温製錬に用いる砂鉄は、高チタンだと品質も歩留まりも悪い。
その点、出雲の真砂は優れた砂鉄と言える。これをさらに細かく粉砕して使用した。
還元性を高めるためである。 一つの作風を確立したと見えるが、製精錬一貫の仕事は効率が低く、安定性にも欠ける。
作家としての厳しい価値観も相まって、依然、寡作にとどまっている。
その上、並行して全く別の探究も行われている。

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天田昭次 作品集より

作品 7

1981年 太刀 奉納彌彦神社大御前 天田昭次造之
以真木山製鉄遺跡出土鉄塊
昭和五十六年正月吉日
刃長 72.5cm 反り 2.1cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸つき、細かい地景入る。
焼刃 (やきば) 焼き幅狭い直刃、匂口締まりごころ、匂いがちで小沸つき、わずかに小足入る。
帽子 (ぼうし) 直に丸くわずかに返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先浅い栗尻、孔一。

昭和四十八年、近在の製鉄遺跡調査が行われ、その折発見された鉄塊が鍛打実験のために提供された。
遺跡は、古代から中世にかけての操業とみられる。鉄を究めようとする者にとっては、願ってもない機会である。
分析では鉄塊の含炭素量は意外に高かったものの、卸さなくても鍛打が可能で、折り返しは十一回に及んだ。
印象に残るのは、粘って鍛接性も良く、表面に油を注いだような光沢があったことだという。
作品は、一部に常にはない介在物痕が見られ、優美な刀姿、焼き低い直刃と相まって古調な雰囲気が漂う。
砥当たりも古刀に近いとは、研師の実感である。しかし、古刀ではない。
古名刀の再現には、当時の鉄を究めることは必須条件ではあっても、それだけではない。
鍛法も、鍛錬技術や熱処埋のいかんも同時に不可欠であると了解されたという。 本刀は残りの鉄塊とともに、豊浦町(現・新発田市)を経由して、越後一宮の彌彦神社に寄進された。

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天田昭次 作品集より

作品 8

1985年 天田昭次作之
昭和六十年仲春吉日
刃長 73.9cm 反り 1.9cm
形状 鎬造り、庵棟、大切先。
地鉄 (じがね) 板目肌に大板目交じり、地沸厚くつき、太い地景よく入る。
焼刃 (やきば) 沸の深い互の目に湾れ交じる。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖りごころに掃きかけて返る。
彫刻 表裏に棒樋を掻き通す。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。

昭和六十年の新作名刀展で二回目の正宗賞を受賞した作品である。
前回の山城伝から一転して、相州伝となった。
この当時、備前伝の華やかな丁子乱れが人気を博す一方で、沸物の代表格である相州伝も強く求められていた作刀界であるが、地鉄が言うことを聞いてくれない。
本刀は、前掲の相州伝の地刃をより誇張し、鎌倉時代末期から南北朝時代にかかるころの本流を狙いとしている。 折り返し回数を思い切り少なく、ザックリ鍛える。それでいてキズ気がないのは、柔軟な鋼の性質と鍛錬技術の賜物である。 この材料の生まれは銑という。その処理法は、かつて出雲でもっぱら錬鉄の製造に当たった最後の大鍛冶屋大工から得た。左下法(さげほう)により、錬鉄ではなく、鋼の段階でとどめ、鍛錬に回すのである。 この技法はのちに公開した。大がかりな和銑の生産は今はなく、大鍛冶屋も後を絶ち、和製錬鉄である包丁鉄の製造技術は既に文献の上でしか再現できなくなっている。

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天田昭次 作品集より

作品 9

1986年 明日香宮大前
天田昭次謹作
(側面)皇紀二千六百二二十六年七月吉祥日
刃長 65.4cm 反り なし
形状 両切刃造りの主刀と、左右交互に三本ずつの両鎬造り両刃の枝刀を持つ。
地鉄 (じがね) 板目肌やや肌立ちごころとなる。
焼刃 (やきば) 匂がちの直刃、匂口締まる。
帽子 (ぼうし) 直に焼き詰める。
中心 (なかご) 鑢目筋違、先栗尻、孔一。

本歌は、奈良県天理市・石上(いそのかみ)神宮の御神宝で、国宝に指定されている鉄製の剣である。
「七支刀」(しちしとう)の名で知られる。神宮神域から出土したとされる。
『日本書紀』神功皇后五十二年の条に、百済王から倭王に「七枝刀」(ななつさやのたち)が献上されたとの記事があり、これに相当すると一般に考えられている。 また、表裏中央の鎬地に60文学の金象嵌があり、これによれば、倭王に下賜したものという。
「百練銕(てつ)」の銘文も興味深い。刀身は厚い錆に覆われている。 実見せずに軽々な判断は避けなくてはいけないが、下半部の破断は鋳造を物語るものではあるまいか。
焼入れは、おそらくなされていないであろう。
象嵌の加工は、表面を脱炭焼き鈍した上でなら容易である。
本作は鍛造して成形し、先端部にのみ焼きを施している。
至難の技術である。

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天田昭次 作品集より

作品 10

1986年 天田昭次作
皇紀二千六百二二十六年晩秋吉祥日
刃長 22.2cm 反り なし
形状 両鎬造り。
地鉄 (じがね) 板目肌流れごころに地沸つき、地景入る。
焼刃 (やきば) 匂がちの直刃、小沸つく。
帽子 (ぼうし) 直に焼き詰める。
彫刻 表裏の鎬に細い棒樋を掻き流す。
中心 (なかご) 鑢目筋違、先尖りごころの栗尻、孔一。

あまり知られていないが、天田さんは剣の製作でも蓄積がある。 剣の技術的な見どころは、端正な形状、精緻な地鉄の鍛え、調和のとれた直刃などである。中心の仕立ても、刀とは趣を異にする。 これは銑を小形の反射炉で精錬し、その後に折り返し鍛錬を施したものである。
地鉄の色調や風合いに、その特徴が見て取れる。

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天田昭次 作品集より