天田昭次 ( あまた・あきつぐ ) 略譜本名 天田誠一現住所 新潟県新発田市月岡昭和2年8月4日 天田貞吉の長男として本田村本田 ( 現・新発田市 ) に出生
昭和15年3月 上京し、日本刀鍛錬伝習所 (所長・栗原彦三郎昭秀) に入門 昭和27年 講和記念刀を製作 昭和29年6月8日 文化財保護委員会より製作承認を受ける 昭和30年 第1回作刀技術発表会に出品、優秀賞を受賞 昭和32年 第3回作刀技術発表会に出品、優秀賞を受賞 昭和33年 第4回作刀技術発表会に出品、優秀賞を受賞 昭和34年 現状の作刀に疑問を感じ、自家製鉄の本格的研究を開始 昭和35年 闘病生活に入る 昭和43年 快復して作刀を再開。現住所に自宅・鍛刀所・製鉄所を移転 昭和44年 第5回新作名刀展に出品、奨励賞を受賞 昭和45年 第6回新作名刀展に出品、名誉会長賞を受賞 昭和46年 第7回新作名刀展に出品、奨励賞を受賞 昭和47年 第8回新作名刀展に出品、奨励賞を受賞。同展無鑑査に認定される 昭和48年 伊勢神宮式年遷宮御神宝大刀を製作奉仕 昭和49年 新横綱北の湖の土俵入りの太刀を製作 昭和50年 新作名刀展審査員に任命される。以後現在まで審査員を務める 昭和51年 長谷川熊彦・芹沢正雄両氏と「自然通風炉による古代製鉄法復元実験」を共同研究、『鉄と鋼』に成果を発表 昭和52年 第13回新作名刀展に無鑑査出品、正宗賞を受賞 昭和53年3月14日 豊浦町無形文化財に指定される 昭和60年 第21回新作名刀展に無鑑査出品、正宗賞を受賞 昭和61年11月 新潟大和にて「天田昭次作品展」を開催 昭和62年10月 第1回新作短刀小品展 (小刀の部) に出品、特選となる 昭和63年 文化庁主催美術刀剣刀匠技術保存研修会講師に任命される 平成2年 全日本刀匠会理事長に就任 平成3年 月岡カリオンパーク内 カリオン文化館(刀剣伝承館) 専用展示コーナー開設 平成4年 伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀を製作奉仕 平成7年 全日本刀匠会理事長を退任し、顧問に就任 平成8年 新作刀展覧会に無鑑査出品、3度目の正宗賞を受賞 平成9年5月23日 重要無形文化財保持者 (人間国宝) に認定される 平成9年8月24日 豊浦町名誉町民の称号と町民章を授与される 平成11年11月 勲四等旭日小綬章を受章 平成15年7月 新発田市名誉市民の称号を贈られる 平成16年 新発田城復元完成記念太刀製作 平成17年 伊勢神宮式年遷宮 御神宝太刀製作奉仕 平成18年 横浜高島屋ギャラリー8階 NHK横浜開局80周年記念・重要無形文化財制度50年記念 秋篠宮悠仁親王殿下 御守刀謹作平成19年 新作刀展覧会 無鑑査出品, 文化庁主催「重要無形文化財 ・日本の技と美」展へ出品 財団法人 日本美術刀剣保存協会理事を退任 全日本刀匠会主催 第2回 お守り刀展覧会へ参考出品 平成20年 全日本刀匠会主催 第3回 お守り刀展覧会へ参考出品 〃 「千年の技と心 現代日本刀秀作展」へ参考出品 平成21年 〃 「現代日本刀秀作展」へ参考出品 新潟日報社 主催 「新潟が生んだ人間国宝展」(旧 大和新潟デパート特設会場)出品 トキめき 新潟国体 秋篠宮殿下同妃殿下より、カリオン文化館(刀剣伝承館)ご視察 平成22年 民主政権・内閣府認定・公益財団法人 日本刀文化振興協会・理事長を就任(約2年) 平成24年 〃 日本刀文化振興協会理事長を退任 平成25年 第62回 伊勢神宮 式年遷宮御神宝太刀を製作奉仕 平成25年6月26日 肺炎のため逝去 平成25年8月5日 新発田市主催 (教育委員会・式典 秘書広報課 ・観光振興課) 新発田市名誉市民 故 天田昭次先生を偲ぶ会 及び 遺作展覧会を開催していただきました。 ☆ 遺族より ☆ 享年85歳までの人生を「生涯学習」しつづけて、理想とする鎌倉期の刀、鉄づくり には大変に困難がついており、時に病に倒れ、再起、ですが夢に邁進しできましたことは、 全国各地より、ご当地 季節の名産品や鉄に関するお話や情報、お手紙やお葉書、お写真、ほか 皆様の温かいご支援・ご声援が何より幸せでした。心より厚く御礼申し上げます。
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