作品 23

2001年 太刀 天田昭次作之平成十三年八月吉日 彫仙壽 刃長 78.0cm 反り 2.5cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰む。
焼刃 (やきば) 匂本位の丁子乱れ、小沸つき、特に谷によくつく。飛び焼きかかり、足・砂流しよく入る。
帽子 (ぼうし) 表乱れ込み、焼き詰める。裏直刃乱れごころに一文字風に返る。
彫刻 表裏棒樋角止め。樋内に表真の倶利迦羅、裏梵字・宝珠・蓮台を浮き彫りとする。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先刃上がり栗尻、孔一。

 

変化に富む丁子乱れを焼き、きわめて高い水準に仕上がった。

地鉄は均質な小板目肌を示し、精美である。

この地鉄は丁子に限らず、直刃にも互の目にも対応する。

間接製鋼である銑の反射炉式精錬法は、画期的発明であった。

 

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天田昭次 作品集より

作品 24

2002年 短刀 昭次作
平成十二年二月吉日
刃長 26.5cm 反り なし
形状 平造り、庵棟。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸厚くつき、細かい地景よく入り、湯走りかかる。
焼刃 (やきば) 互の目に湾れ交じり、沸深く、刃中太い足、太い金筋入る。
帽子 (ぼうし) 湾れ込み、先尖りごころに丸く返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先刃上がり栗尻、孔一。

種子島の砂鉄を直接製鋼し、鍛えた短力である。
地刃の沸が深く、刃中に金筋などの働きが見える。
地鉄が柾に流れないのは、巧みな鍛えがなせる業である。

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天田昭次 作品集より

作品 25

2002年 短刀 昭次作
平成十二年八月吉日
刃長 26.5cm 反り なし
形状 平造り、庵棟。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、わずかに流れ肌交じり、地沸厚くつき、地景よく入り、湯走りかかる。
焼刃 (やきば) 小湾れに互の目交じり、沸深く、砂流し、太めの金筋よく入る。
帽子 (ぼうし) 湾れ込み、小丸に返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先刃上がり栗尻、孔一。

前掲とほぼ同じ狙いで製作したものである。
裏の元寄りに、介在物とともに黒く地景が見え、刃縁に絡む金筋も認められる。
同じ現象を分析したところ、含有率0.1パーセントのチタンが検出された。
金属学では、砂鉄の製錬は「含まれるチタンを凝縮し、鉱滓中に分離する」という考え方が有力である。
事実はこれに反する。
作者は、チタンが古名刀再現の手がかりの一つと考えている。

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天田昭次 作品集より

作品 26

2003年 大太刀 豊月山天田昭次(花押)作之
鷹需竹井博史氏 平成十五癸未年正月
刃長 104.5cm 反り 3.7cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌詰む。
焼刃 (やきば) 匂出来の丁子乱れ、匂口深く小沸つき、足よく入り、砂流しかかり、丸い飛び焼き現れる。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖りごころに浅く返る。
彫刻 表裏に棒樋を掻き流す。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先刃上がり栗尻、孔一。

刃渡り三尺四寸五分という長大な太刀である。
技術的に、大きくなればなるほど難度が増すのは言うまでもない。
鍛えであれ、焼き入れであれ、失敗なく完遂するには、余程の技量を要する。
本刀は、地鉄に全くムラがない。
丁子主体の焼刃も高低・強弱をつけながら、元から先まで破綻がない。
作者にとって記念碑的労作であろう。

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天田昭次 作品集より

作品 27

2003年 太刀 天田昭次作之
平成十五年弥生吉祥日
刃長74.5cm 反り 2.4cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先詰まりごころに猪首風となる。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰む。
焼刃 (やきば) 匂がちの丁子乱れ、小沸つき、足よく入り、砂流しかかり、ところどころ丸い飛び焼き現れる。
帽子 (ぼうし) わずかに乱れに丸く返る。
彫刻 表裏に棒樋を掻き流す。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先刃上がり栗尻、孔一。

備前伝の近作太刀である。
よく詰んで美しい地鉄に、刃縁の柔らかい丁子を華やかに焼いている。手に取って、心地良く鑑賞できる一刀である。

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天田昭次 作品集より

作品 28

2004年 脇指 昭次作
平成十六年二月日
刃長 38.8cm 反り 0.2cm
形状 平造り、庵棟。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、わずかに流れ肌交じり、地沸厚くつき、地景よく入る。
焼刃 (やきば) 湾れに互の目交じり、小沸深く、匂口冴える。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、突き上げて、先尖りごころに返る。
彫刻 表裏に刀樋を掻き流す。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。

この年の新作刀展覧会無鑑査出品作である。
永年にわたる地鉄の研究、殊に平成九年の重要無形文化財保持者認定以降の苦闘が、新たな境地を開きつつある。
自ら製した鋼を、そのつぶやくままに素直に鍛えて、こうなったのである。
棟寄りのチリと称する狭い部分の地肌にさえ、楽しめる見どころがある。
地刃の顕著な変化は、介在するチタンによるものであろう。
近々の大きな展開を予感させる作品である。

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天田昭次 作品集より

作品 29

1934年 太刀 下野住人彦三郎昭秀作之
昭和九年六月吉日
刃長 77.1cm 反り 2.7cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌詰む。
焼刃 (やきば) 沸出来の互の目乱れ、尖り刃交じり、刃中砂流し、金筋・足入る。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖って返る。
彫刻 表昇り龍、裏下り龍。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違に化粧、先栗尻、孔一。

この太刀の作者栗原彦三郎氏(刀匠銘昭秀、明治十二年~昭和二十九年)は天田さんの師匠である。
廃滅の危機に瀕していた日本刀の復興を若くして決意、自らその活動を担うとともに、衆議院議員当選後は政壇から訴え続けた。
昭和八年、邸内に日本刀鍛錬伝習所を開設し、本格的に刀匠の養成を開始した。
本刀を製作したこの年には、建議が実を結んで、刀剣の帝展への参加が実現した。
翌十年には大日本刀匠協会を設立し、文部省の後援を得て新作日本刀展を恒例化、軍刀ブームを追い風として鍛刀界を隆盛に導いていった。
一門の刀鍛冶は、全容をとらえきれないくらい多い。
戦後は、講和記念刀の製作許可を政府に取り付けるなど、作刀再開のきっかけを作った。
近代以降の刀剣界最大の功労者と称してよい。
この作品は、当時としては異例に長寸であり、入念作の拵も付されているところから、注文打ちもしくは特別な贈答用として製作されたものであろう。

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天田昭次 作品集より

作品 30

1934年 北越住天田貞吉 昭和九年二月吉日
鷹御子柴廉地氏需造之
刃長 67.9cm 反り 1.6cm
形状 鎬造り、庵棟、中切先。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸つき、梨地肌となる。
焼刃 (やきば) 直刃に湾れ交じり、沸よくつき、刃中砂流し、金筋・足入る。
帽子 (ぼうし) 直に大丸に浅く返る。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違に化粧、先入山形、孔一。

製作者の貞吉(さだよし)氏(本名は「ていきち」、明治三十三年~昭和十二年)は、天田さんの父君である。
独学の刀鍛冶ながら頭角を現し、第十五回帝展人選、新作日本刀大共進会で最優等賞、第一回新作日本刀展で最高賞の文部大臣賞を受賞するなど、短期間に華々しい活躍を見せた。
山本五十六元帥の佩力も鍛えている。
しかし、その父には鍛刀の手ほどきすら受けていない。
天田さん九歳のとき、三十六歳の若さで急逝したからである。
その三年後、小学校を卒業するとすぐに、東京・赤坂の栗原彦三郎師の門を叩くのである。
少年の胸に「父のような刀鍛冶になりたい」「あのような刀を作りたい」という思いは強かったに違いない。
この力を数年前に、天田さんは初めて見た。正直に言って、驚いたそうである。
直刃を得意とはしていたが、地鉄は常のとは全く違うのである。
もちろん、無鍛の洋鉄刀などでは、断じてない。まだ素材は特定できない。
銘字も巧みで、天才鍛冶の面目躍如たる一刀である。

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天田昭次 作品集より

作品 31

1977年 太刀 以真鍛宮入行平作
昭和五十二年八月日
刃長 74.0cm 反り 1.9cm
形状 鎬造り、庵棟、大切先。
地鉄 (じがね) 板目肌に大肌交じり、刃縁柾がかり、地沸厚くつき、地景入る。
焼刃 (やきば) 沸出来の互の目乱れ、匂口明るく、足よく入り、細かい砂流し、金筋かかる。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖りごころに返る。
彫刻 表裏に棒樋丸止め。
中心 (なかご) 棟丸、鑢目勝手下がり、先栗尻、孔一。

宮入行平氏(前銘昭平、本名堅一、大正二年~昭和五十二年)は、天田さんの日本刀鍛錬伝習所時代の兄弟子であり、実の兄のような存在でもあった。
伝習所には天田さんの三年前に入所、既に鍛冶の基本技術は身に付いていたから、成長は早かった。
翌昭和十三年の新作日本刀展で総裁大名誉賞を受賞すると、次いで海軍大臣晋・文部大臣賞など上位に格付けされている。
刃長三尺の栗原師との合作で、傑作も経眼している。
戦後は、作刀技術発表会の第一回から特賞を連続受賞して無鑑査に推され、三十八年には五〇歳の若さで重要無形文化財保持者に認定された。
この作品は、南北朝期の磨上げに範を取った「宮人姿」とも呼ぶべき完成した体配に、志津風のゆったりした作調を見事に表現している。
銘字を草書に変えて間もなく、作刀に新たな確信を得ていたかと思われる。
宮人氏は、この自作の研ぎ上がりを見ることはなかった。
美術刀剣時代の牽引者の、早すぎる死であった。

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天田昭次 作品集より

作品 32

1986年 太刀 天田収貞作
昭和六十一年二月日
刃長 62.4cm 反り 1.1cm
形状 切先両刃造り、庵棟。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸つき、地景入る。
焼刃 (やきば) 匂出来の直刃。
帽子 (ぼうし) 直に焼き詰める。
彫刻 表裏の中央に棒樋を掻き流し、薙刀樋を添える。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。


収貞(かねさだ)刀匠(本名貞夫、昭和八年~)は天田さんの実弟である。
戦後、作刀が禁止され、やむなく農具や刃物の鍛冶を生業としていた当時から、形影相伴うごとく仕事を
共にしてきた。刀に転じては、自家製鉄から鍛錬、実験研究、弟子の育成に至るまで、すべてにかかわってきた。
あえて言うなら、この良き協力者がいなかったなら、天田さんは現在と違った行き方を選択せざるを得なかったかもしれない。
本刀は、新作名刀展において優秀賞を受賞したものである。
本歌は著名な御物「小鳥丸」で、この独特な造り込みを小鳥造りとも言う。
平安時代初期の作で、区際(まちぎわ)に顕著な反りが見られるばかりでなく、刀身にも明らかに反りが認められるところから、大刀から次代の太刀姿への過渡期を物語るとされている。
本作品の地鉄には、磁鉄鉱の一種である餅鉄を還元して得た鉧を用いている。
丹念に鍛えて美しく、両刃も見事に決まっている。さすがは経験豊かな手練れの技である。

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天田昭次 作品集より