作品 31

1977年 太刀 以真鍛宮入行平作
昭和五十二年八月日
刃長 74.0cm 反り 1.9cm
形状 鎬造り、庵棟、大切先。
地鉄 (じがね) 板目肌に大肌交じり、刃縁柾がかり、地沸厚くつき、地景入る。
焼刃 (やきば) 沸出来の互の目乱れ、匂口明るく、足よく入り、細かい砂流し、金筋かかる。
帽子 (ぼうし) 乱れ込み、先尖りごころに返る。
彫刻 表裏に棒樋丸止め。
中心 (なかご) 棟丸、鑢目勝手下がり、先栗尻、孔一。

宮入行平氏(前銘昭平、本名堅一、大正二年~昭和五十二年)は、天田さんの日本刀鍛錬伝習所時代の兄弟子であり、実の兄のような存在でもあった。
伝習所には天田さんの三年前に入所、既に鍛冶の基本技術は身に付いていたから、成長は早かった。
翌昭和十三年の新作日本刀展で総裁大名誉賞を受賞すると、次いで海軍大臣晋・文部大臣賞など上位に格付けされている。
刃長三尺の栗原師との合作で、傑作も経眼している。
戦後は、作刀技術発表会の第一回から特賞を連続受賞して無鑑査に推され、三十八年には五〇歳の若さで重要無形文化財保持者に認定された。
この作品は、南北朝期の磨上げに範を取った「宮人姿」とも呼ぶべき完成した体配に、志津風のゆったりした作調を見事に表現している。
銘字を草書に変えて間もなく、作刀に新たな確信を得ていたかと思われる。
宮人氏は、この自作の研ぎ上がりを見ることはなかった。
美術刀剣時代の牽引者の、早すぎる死であった。

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天田昭次 作品集より

作品 32

1986年 太刀 天田収貞作
昭和六十一年二月日
刃長 62.4cm 反り 1.1cm
形状 切先両刃造り、庵棟。
地鉄 (じがね) 小板目肌よく詰み、地沸つき、地景入る。
焼刃 (やきば) 匂出来の直刃。
帽子 (ぼうし) 直に焼き詰める。
彫刻 表裏の中央に棒樋を掻き流し、薙刀樋を添える。
中心 (なかご) 棟小肉、鑢目筋違、先栗尻、孔一。


収貞(かねさだ)刀匠(本名貞夫、昭和八年~)は天田さんの実弟である。
戦後、作刀が禁止され、やむなく農具や刃物の鍛冶を生業としていた当時から、形影相伴うごとく仕事を
共にしてきた。刀に転じては、自家製鉄から鍛錬、実験研究、弟子の育成に至るまで、すべてにかかわってきた。
あえて言うなら、この良き協力者がいなかったなら、天田さんは現在と違った行き方を選択せざるを得なかったかもしれない。
本刀は、新作名刀展において優秀賞を受賞したものである。
本歌は著名な御物「小鳥丸」で、この独特な造り込みを小鳥造りとも言う。
平安時代初期の作で、区際(まちぎわ)に顕著な反りが見られるばかりでなく、刀身にも明らかに反りが認められるところから、大刀から次代の太刀姿への過渡期を物語るとされている。
本作品の地鉄には、磁鉄鉱の一種である餅鉄を還元して得た鉧を用いている。
丹念に鍛えて美しく、両刃も見事に決まっている。さすがは経験豊かな手練れの技である。

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天田昭次 作品集より